見えない初日の出を見に行ったはなし
明けましておめでとうございます。みなさまにとってよき一年になりますように。
新年で初めて太陽を見たら初日の出
新年の最初にやったことは、初日の出を見に行くこと。でも、近所で日の出が見えるところはないのですよ。
電動チャリでも山越えはキツイのです
山の西側で暮らしているので、山越えしないと日の出は見えない。
一応、チャリで30分か40分くらい頑張って走れば、初日の出が見えるスポットはあるみたいなんだけど、チャリで頑張った後、すごい長い階段を登るんだよなー、、、あの場所(1回迷って登ってしまったことがある)、と思うと、それは頑張れないなという結論に達しまして。
新年で初めて太陽を見たら初日の出であろう、というわけのわからない理屈をつけて、初日の出の時間に合わせて近所の丘らしき所に登ってみました。
間接的でもいいではないか
しかし、案の定、日の出方面は森に覆われており、日の出はまったく見えず。間接的に、街に明かりが差していく様を見てまいりました。
夕焼けを見るスポットなので、景色は本当に素晴らしいのですよ。遠くの街並みまで見えるし、さらに遠方の山々が背景となっていて。何時間でも眺めていられる場所なんですよね。
私が通っている会社も見えるし、遠くのビルの窓の根元に初日の出が反射して、次第にビルの上まで光が差して、街全体が明るくなっていく。
今いる自分の場所の影が街を覆っていて、徐々に影が日差しの場所が増えて影が少なくなっていく。ほぼ、絵本の「半日村」状態ですね。
初日の出って直接見ることに意味があると思っていたけど、新年早々、朝の光を感じるだけでも充分満足できました。
太陽は見えなくても初日の出は見に行くものだったらしい
予想外だったのは、人が結構いたこと。いつも朝ジョギングしているときにすれ違うくらいの人はいるだろうと思っていましたが、普通に観光スポット並みに人がいました。
特に高校生くらいから20代前半の人達が多くて、ちょっとビックリ。オールナイトの締めで朝日を浴びにきたのかもしれませんね。
それに、私だけじゃなくて、結構な人達が見えないことは百も承知の上で、見えない初日の出を見にいっていたことにも驚き。
別に日の出の太陽が見えるか見えないかではなく、日の出の時間を共に過ごすことに意味があったのですな。そうかそうか。
残された人生はやりたいことを消化していきたい
余命宣告をされているわけではないのですが、47歳の今、本当に体の老化が急ピッチで進んでいる気がしていますのですよ。
動けるうちに動きたい
老眼や白髪、体の動かなさ、体力の低下。たぶん、長年、めっちゃ動いていたのでそう感じるのかもしれませんが、動けるうちに動かねば、と思いましてね。
まあ、何もやらずにのんびりストレスなしで晩年を過ごすのもアリなのでしょうが、性分的に行動したいタイプなので。
とはいえ、やりたいこと、と言っても大したことではないのですが。
食べたことがないものを食べてみるとか、憧れていたものにチャレンジしてみるとか、やってみたいなと思ったことをやってみるとか、そんなもの。
直接初日の出を拝んだらやる気スイッチは倍増する予感
見えない初日の出を間接的に見ただけで、新年を過ごすとても良きスイッチが入ったのだから、直接的に初日の出を見られたら、どれだけのスイッチが入るのでしょうか。
朝ジョギングのときに、今年よりはマシは初日の出スポットを探しておきたいと思います。
ちなみに、本物太陽を拝めたのは、東京の初日の出のほぼ一時間後。7:45ごろ、家の窓からよそ様宅の屋根の上に出てきたところを拝ませていただきました。
というわけで、残された私の人生、あとどれくらい、やりたいことを消化できるかわかりませんが、1つずつ地道にやっていこうと改めて思った朝でした。
全然関係ないですが、モフモフパーカーのフード+耳当てだと、全く寒くなかったです。マフラーしてなくても首が外に出ていないだけで全然寒くないってことに気づきました。
さらに、防寒用に履いている普通のレギンスが見つからなかったので、むくみ防止用の着圧レギンスを履いたら、これまた全然寒くなかった。何が違うんだろう。
最後に、富士山がめちゃくちゃキレイでした。初日の出(見てないけど)+富士山。まさに新年の組み合わせですな。
ではまた。